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2024年11月25日
吐普加美依身多女(とほかみえみため )
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「吐普加美依身多女(とほかみえみため )」は、天皇家の神道である泊家神道(白川神道)で用いる祝詞(のりと)です。 黄泉の国から戻って「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊(みそぎ)を行った伊邪那美命がその際に唱えた言葉が「吐普加美依身多女(とほかみえみため )」だとされます。最強の祓詞(はらいことば)だと言われる所以です 花山天皇(984年~1008年)から別れ出た、白川伯王家が代々天皇家の神道の指南役であり、元々神道界のトップでした 室町時代15世紀に 京都 吉田神社 の神職 吉田兼倶が、幕府に取り入り「神祇管領長上」と称して神道界を支配し始め、吉田家代々の当主は宗源宣旨、神道裁許状を発行しました。神道裁許状を持たない神職は、事実上非公認であり、公の神道の行事に参加できませんでした。 吉田兼倶は、仏教、道教、儒教をミックスした吉田神道(卜部神道)を起こし、吉田家は明治維新までの400年間、白川伯王家を差し置いて、日本の神道を支配しました 明治政府は、吉田家を排除し、白川伯王家が再び神道界最上位の家元に復帰しましたが、もっぱら天皇家の神道指南役に専念し、神社神道は、政府が所管する国家神道として神道の国教化が進められました。 神道を所管したのは、内務省(神祇院)であり、実務は3つの外郭団体が行い、神社の参拝作法の統一などを行いました。ここで造られたのが、「二礼二拍手一拝」の流儀です 戦後、国家神道は廃止され、GHQの神道指令によって内務省の外郭3団体は、民営化されました。この3団体は合併し、宗教法人「神社本庁」となり、日本の神社の79%が、その傘下となりました。 民営化されても、役所気分が抜けなかったようで「神社本庁」などと、公官庁風の名前を名乗ってます 一方、天皇家の祭祀を指南した白川伯王家は、1959年〈昭和34年〉家計断絶しました。 白川伯王家の流儀(伯家神道)と「神社本庁」は、全く別物ですから、現在の神社では「吐普加美依身多女(とほかみえみため )」を唱えず、神社本庁は「略拝詞(りゃくはいし)」=「祓へ給へ清め給へ、守り給へ幸へ給へ」を参拝時に唱えることを推奨してます しかし、「吐普加美依身多女(とほかみえみため )」を神社で唱えることに問題はありません。非神社本庁傘下の神社では、唱え言葉として掲げてます 神社本庁傘下の神社でも氏子会などが神社に掲げていることも良くあります 天皇家はどこの神社に行っても伯家神道の流儀で参拝してます 従って、拍手は一切せず、ただお辞儀するだけです
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