千田琢哉
「一流」がやらない仕事術――。一流と四流は“やらないこと”に違いがある。「一流」の経営者は、格下の相手が敬意を表した場合のみ知恵を授け、ギラギラせずに美しくお金を稼ぐ。そして「お客様は神様」という精神を忘れないという。本稿は、千田琢哉『一流の人が、他人に何を言われても やらなかったこと。』(清談社Publico)の一部を抜粋・編集したものです。
請われていないなら教えない
多く話したほうが負けである
私が経営コンサルタント時代に気づかされた最大の知恵は「教えたがり屋さんは貧乏人になる」というものである。
想像しやすいと思うが、相手から請われてもいないのにホイホイ教えていると、経営コンサルタントは商売にならない。
もともとサービス精神旺盛な私は後に師となる名経営者から、ある日こう指摘された。
「千田君、そんなに簡単にホイホイ教えてはいけないよ。相手は感謝するどころかバカにするし、いいように利用されてポイ捨てされちゃうから。
うちの会社の幹部がまさにそうした連中ばかりさ。彼らは全員高学歴で頭脳明晰だけど、何でもかんでも私にペラペラ話すからいいように使われるままだ。私はただ彼らを褒めているだけ。
あれだけの頭脳の持ち主だからいずれ謀反を起こされるとずっと心配していたけど、杞憂だった。彼らは認めてもらうだけでお腹いっぱいになれる人種なのさ」
その言葉通り彼は私がホイホイ教えたアイデアを具現させ、大都市に巨大施設を展開して大成功を収めている。
私にはこの「請われてもいないのに教えてはいけない」という知恵を授けてくれたのだから、感謝することはあっても恨むことなど何もない。
今でも密室で極秘情報を交わす仲が続いている。
その知恵を授かって以来、私は急に寡黙になった。
請われてもいないのに教えないと、いいこと尽くしだった。
経営コンサルタントの仕事に限らず、人生すべてにおいて運が良くなり、毎日が大フィーバー状態になったのだ。
まず、教わる側ではなく教える側に立てるから先生として扱ってもらえるようになる。
相手が請うてきた時に初めて最低限の知恵をチラ見せし、それ以上は話さない。
相手がお金を払う場合か、もしくはそれ相応の敬意を表した場合のみ知恵を授けるのだ。
この上下関係は絶対に覆さないようにできるのも強烈なメリットになるだろう。
次に、長話をせずに済むから時間の節約になる。
会話の間を埋めようと相手は一方的に話し始めるが、あなたは適当に聞き流しておけばよろしい。
絶対にあなたから間を埋めないことだ。間を埋めた途端、格下になってしまう。あくまでも間は格下に埋めさせるものなのだ。
訥弁のくせに無理に間を埋めようとすると、もはや絶望的で、自らのポジションを下げた挙げ句、失言し、揚げ足を取られてご臨終だ。
多く話したほうが負けである。ここだけの話、私はこの知恵だけで一生分稼がせてもらったし、地位を維持してきた。いちいち暴力を振るうまでもなく相手を瞬殺できるから極めてお得だろう。
儲けようとギラギラした瞬間
人は四流が確定するのである
なぜ歩合制のセールスに一流はいないのか。なぜ中小企業の経営者に一流はいないのか。
それはギラギラしているからだ。
人は儲けようとギラギラした瞬間、四流が確定するのである。
「稼ぐ」という言葉が口癖になっている輩は多いが、「稼ぐ」という言葉の響き自体が一流ではなく、下流の言葉だ。
これは善悪を超越した自然の摂理である。
美しいものは美しいし、醜いものは醜い。シンプルだけど、それだけのことだ。
かつて経営の神様はこう言った。
「お金は美しく稼がなければならない」
私がこれまでに出逢ってきた一流の人々は例外なくお金の稼ぎ方が美しかった。
決してギラギラしていなかった。歩合制のセールスや中小企業の経営者がどうしてギラギラした腕時計や奇抜な服装をしているのかと言えば、学歴がないからである。
学歴がないと人はギラギラさせることで自分の低学歴を補おうとするのだ。
だが、それだけはやめたほうがいい。
高学歴というのはお金では買えないからこそ価値があるのであって、お金で買える腕時計や奇抜な服装をしたところで低学歴が高学歴に勝てるわけではないのだ。
それどころか負けがより際立つだけである。
歩合制のセールスや中小企業の経営者で年収を1億円稼いだところで、高学歴には敵わないのだ。
仕事というのは勉強と違って自分の得意分野で勝負できるし、世の中には認知されている職業だけで3万種類以上もある。
つまり、バカでも選り好みをしなければ仕事はあるし、得意なことであれば誰でも稼げるようになっているのだ。
以上の事実は一流の世界で暗黙知となっている。
「仕事はできて当たり前」「お金くらい稼げないで何をやっているの?」という言葉が密室で飛び交っているのは、生まれつきの知能がモノを言う勉強と違い、仕事やお金を稼ぐことは誰でもできることだと完璧に洞察されているからだ。
以上の事実が見事にバレていることを知って、赤面した歩合制のセールスや中小企業の経営者もいるだろう。
大切なことはこれまでどうだったかではなく、これからどうするかである。
自分がいつまでも四流で見下されるのは、儲けよう、稼ごうとギラギラしているからなのだ。
儲けよう、稼ごうとギラギラしていると嫌われるのは、その人が世間から奪う人だと認定されてしまうからである。
奪う人には世間は社会的地位を与えないし、いつまでも四流のレッテルを剥がさない。
四流のレッテルを剥がしたければ、たとえ低学歴でもギラギラしないことだ。
きちんと学歴に見合った低姿勢を貫き、与える人だと印象づけることで四流から脱出しよう。
「あの客」という言葉が
飛び交う会社は四流確定
これは四流の人や会社にありがちなのだが、バックヤードで「あの客」という言葉が飛び交っていると、もうその時点でお先真っ暗だ。
少なくとも同じ空間内にいる一流や一流予備軍の人々とは絶縁されるし、残った四流の人々がお互いに下げ合って殺し合い、組織を消滅させるだろう。
これもまた自然の摂理である。上場企業でもその種の会社は珍しいことではなく、多くの場合、犯罪や汚職でニュースを賑わせる。
舞台裏を知っている経営コンサルタントからすれば、「やっぱり」という感想しかない。
言葉遣いというのはそれほど大切なものであり、そのまま思考に直結する。
「あの客」という言葉が飛び交っている組織は、トップの脳みそがそうなっている証拠だ。
トップの脳みそから「あの客」という言葉が生じると、側近の脳内にも「あの客」という言葉が芽生える。
あとは中間管理職や平社員、最終的にはパートやアルバイト、受付の社員まで「あの客」という顔をするようになり、この時点まで放置すると、もはや再生は不可能である。
パートやアルバイト、受付の社員が社長の脳内の本音を世間に向けて惜しみなく発信し続けてくれるからだ。
自業自得とは、まさにこのことである。
ここだけの話、私は間接的にそれらの会社を社会的に抹殺したことが何度かあり、今でも良いことをしたと自分で自分を褒めてあげたいくらいだ。
気が向いたら、またそのうちやってみたいと思っている。
たとえば、たまたまメンバーの一人としてあるプロジェクトに入っていたが、自分の担当ではないからという理由で「あの客」呼ばわりする社風をあえて指摘しなかった。
お客様をぞんざいに扱うな
組織にとって「お客様は神様」
他をどれだけいじってもこういう本質を押さえておかないと、組織というのは何も変わらないものだ。
案の定、プロジェクト終了後1年も待たずしてその会社は倒産した。
複数の会社がこうして終焉を迎えているので特定はできないが。
翻って、あなたやあなたの会社はどうだろうか。
「お客様は神様だなんてもう古い」という言葉に甘えて、「あの客」呼ばわりしてはいないだろうか。
別に「あの客」呼ばわりだけに限らない。

『一流の人が、他人に何を言われても やらなかったこと。』(清談社Publico)
千田琢哉 著
お客様をぞんざいに扱っている言動は、必ず何倍にもなってあなた自身やあなたの会社にブーメランとして返ってくることだけは忘れてはいけない。
この程度の世の中のカラクリはまともな脳みその持ち主であれば、20代までには気づかされているものだ。
令和のこの時代にあえて言おう。
「お客様は神様である」と。
誰も口に出しては教えてくれないが、最前線の販売員や接客をするスタッフよりは学歴も地位も高い方々がお客様なのである。お客様以前に、人としての格が上なのだ。