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[書評]伝統に眠る「境地」を、 実生活で体現する 方法を開発せよー冨永晃輝


内田 樹、中田 考、山本直輝 著 『一神教と帝国』 集英社/2023年12月刊

 本書は、人文学者で武道家でもある内田樹、イスラム法学者の中田考、そしてトルコの国立マルマラ大学でイスラム学を講じる山本直輝が、イスラム圏の国民国家を超えた「帝国」的なダイナミクスを語らう鼎談である。

 イスラム圏では、現在もクルアーンを始めとする古典が広く一般に共有されており、このことが国境を超えて多民族が共感しあえる土壌を形成しているという。この共感が生む連帯感が、国家以上のまとまり=本書における「帝国」を生み出していると三人は推察している。

 そんなイスラム圏では、昨今二つの日本が親しまれているという。一つはアニメ・マンガで、もう一つは武道であるそうだ。トルコ国立マルマラ大学で教鞭を執る山本氏は、大学内外でイスラームの若者から、「心臓を捧げよ!(進撃の巨人の挨拶)」「だってばよ!(NARUTOの挨拶)」と日本語で話しかけられるという。また、イスタンブールでは合気道の道場がとても賑わっている。

 三人は、このマンガや武道に反映されている日本人の「修行」を巡る人生観に、イスラムの人々が共感を寄せていると推測している。実は、イスラムの教えには、禅や道教に近い価値観がふんだんに含まれているそうで、イスラムの教えの日々の実践が、我々の人生観への共感に繋がるという。古来、日本人は、本当の自分に固執せず、修行によって別人(格)になることに価値を見出してきた。悟り得ぬ未熟な自分でも、重大な決断に迫られる。自分が間違えうることを知りながら、ええいままよ! と体当たりする生き方にこそ、「粋」が宿ると考える。

 この対極にあるのが欧米のアイデンティティという幻想であるという。「本当の自分」をその都度定義し、その立場の保持のために環境を変えようとする。そうやって、軽薄なポリコレ的正義を謳う言説が乱立しても、イスラム圏の人々は共感できないのだという。

 しかし、日本の漫画がイスラム圏で受けているからといって手放しで喜べないのは、当の日本人がもはや、そこに描かれているような人生観を実現できているとは言えないからだ。日本人は、武道や呪術、武士などの前近代的な設定の作品では、理想的な生き方を登場人物にさせることができる。しかし、現代を舞台とする物語の中には、これがなかなかできない。四書五経や和歌という共通言語が失われ、経済合理性と安全性でしか同意形成できなくなった私達は、現実社会を運営する中で、死生観などの形而上的な価値を体現するスキルを失っている。

 「境地」という言葉には、知識としてインプットした上で、日々試行錯誤する中で体得できるものという含意がある。現代に求められる営為は、伝統に眠る「境地」をいかに仕事や社交の中に持って来るかである。先人が使っていた言葉を使いたくなるような生き方をしたい。そうやって、少しずつ生きている実感を掴むことができるのではないか? この方法を開発し提供することが、本書への呼応となると考えた。

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