
一九九五年の「財政危機宣言」以来、この国の公共事業費は削られ続けてきた。
が、そんな国は日本だけである。バカの一つ覚えのように「無駄」と「バラマキ」が叫ばれ、国土条件を鑑みない公共事業批判が垂れ流され、「コンクリートから人へ」といった耳障りのいい言葉が飛び交っているあいだにも、アメリカやイギリス、ドイツやフランス、韓国や中国はみなインフラ投資額を増やし続けてきたのである。
その結果として、この三十年で日本は、インフラ整備における「後進国」へとなり下がったばかりでなく、内需の冷え込みとデフレ、地方の衰退、少子化、東京一極集中を招き寄せ、「貧国弱兵」の道を馬や鹿のごとくにひた走りに走ってきたのだった。
が、その愚に気がついたのなら、他の国が普通にやっているように単に政策転換すればいいだけなのだが、なぜか、この国はそうはいかない。もちろん、その背後には、一九八〇年代からの新自由主義政策(緊縮)と、その「空気」を醸成したアメリカに対する引け目、そして、財政法四条の軛──「国債による大東亜戦争」に対する反省から作られた赤字国債の禁止法 ─と、それを金科玉条のように崇め奉る「ザイム真理教」、さらには、その理念を支える「平和憲法」が控えていることは言うまでもない。日本人は、今、「戦後」というバカの壁に囚われながら自滅しつつあると言っていい。
では、「戦後」に私たちが見失ってしまった最大のものとは、何なのか。それは、日本人における「国家」意識、要するに、他者との緊張関係のなかで育まれる「政治」への意志である。かつて、 カール・シュミットは「国民が政治的なるものの領域に実存するかぎり……、国民が自分で味方と敵の区別を定めなければならない。……国民は、これを区別する能力や意志をもはやもたないならば、政治的に実存するのを止めてしまう」(『政治的なものの概念』権左武志訳)と書いたが、まさに戦後日本人が失ってしまったのは、この「敵と味方を区別する能力」だったと言えよう。
(『表現者クライテリオン2024年3月号)巻頭コラム「鳥兜」より)